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当社の考え

2025/10/30

日本人だけが感じる“物価高の痛さ”─世界の物価と賃金の構造、円安のはざまで

2019年から2025年のわずか6年間で、世界の経済構造は一変しました。コロナ禍、エネルギー危機、地政学リスクの高まり、サプライチェーンの再編──それらが重なり、各国の物価と賃金はともに大きく動きました。米国では物価が約25%、ユーロ圏では22%、日本は12%、中国はわずか1%の上昇にとどまっています。東南アジアではフィリピンやベトナムが30%前後、タイやマレーシアでは10%程度の上昇です。世界的に見れば「インフレの時代」に入りましたが、その受け止め方と痛みの度合いは国によってまったく異なっているように感じます。賃金上昇のデータを見ると、その違いはさらに明確です。米国では平均時給が25%上昇し、ユーロ圏でも20%前後。中国では30%近い上昇を記録し、東南アジア諸国も20〜30%伸びています。ところが日本はわずか5〜8%。つまり物価が12%上がっているのに、賃金は半分も上がっていないのです。数値で見ると小さな差に見えますが、生活の実感では大きな痛みとなって跳ね返ってきます。これが「日本だけが感じる物価高の痛さ」の根源にあるのではないかと感じ、今回はそこに焦点を当ててみました。



経済構造が生んだ「悪いインフレ」

日本の物価高は、他国のそれとは性質が異なります。欧米では需要増加や賃上げを伴う「成長型のインフレ」ですが、日本の場合は「円安と輸入コスト上昇によるコストプッシュ型インフレ」です。円安が進めば輸出企業の収益は増えますが、輸入品の価格は上がります。原材料、エネルギー、食料、物流、あらゆるコストが上昇し、それが消費者価格に波及します。ところが賃金はそれに追いつかない。結果として、家計の実質購買力が減り、消費が冷え込み、企業はさらなる価格転嫁をためらう──まさに「悪い循環」が続いているのです。

この構造の背景には、長く続いたデフレ経済があります。バブル崩壊以降、日本企業は「コストを上げずに利益を確保する」経営体質を形成しました。人件費を抑え、内部留保を厚くし、慎重な投資を続けてきました。低成長・低物価が当たり前になり、賃金を上げないことが経営の常識となったのです。そこへ突如として円安と物価高が襲い、社会全体が「価格を上げること」に慣れていないまま、痛みだけが増幅しました。このように、他国が「成長を伴う物価上昇」なのに対し、日本は「成長なき物価上昇」に直面しています。同じ物価上昇率でも、そこに“経済の伸び”があるかどうかで、国民の感じ方はまったく異なるのです。



心理構造が強める“痛み”の実感



日本人が物価高を特に強く感じるのは、経済の数字以上に「心理の構造」が影響していると思います。30年にわたるデフレの中で、日本人の多くは「値段は上がらない」「上がるべきではない」と無意識に思い込んできました。消費者は安さを当然とし、企業も価格競争を優先してきた。値上げは顧客離れを招く“悪”と見なされてきたのです。そこへ急激な円安とコスト高が押し寄せ、スーパーで卵や牛乳の値段が10円、20円上がっただけでも、「こんなに高くなった」と感じるようになりました。米国や欧州では賃金が上がることで生活水準を維持できていますが、日本ではそうした補正が働きません。そのため、わずかな値上がりでも心理的負担が大きくなるのです。また、日本社会では「物価上昇=悪いこと」という認識が根強く、インフレが成長の兆しとして受け止められにくい文化もあります。物価が上がると生活が苦しくなる、という記憶が固定化され、上昇をポジティブに捉える発想が育たなかったのです。高度経済成長期のように「明日は今日より良くなる」という期待感を失ったことが、心理的な重さを生み出しています。結果として、日本の物価上昇は単なる経済現象ではなく、「希望が感じられない値上がり」として人々の心に響いてしまうのです。



社会の仕組みが“循環”を止めている



経済構造と心理の両面が噛み合わないまま、社会制度もまた変化に追いついていません。欧州では、物価上昇に応じて最低賃金を引き上げる仕組みがあり、労使交渉を通じて賃金上昇が制度的に定着しています。米国でも労働市場の流動性が高く、企業が人材を確保するためには賃上げを避けられません。結果として、物価と賃金の“循環”が生まれているようです。一方の日本では、賃金交渉の文化が弱く、最低賃金の上昇も緩やかです。企業の約99%を占める中小企業では、価格転嫁が難しく、補助金頼みの対症療法にとどまっています。政府も「物価対策」と称して給付や減税を打ち出しますが、それは一時的な痛み止めにすぎず、構造的な処方にはなっていません。国民の多くも制度給付や減税を「良し」と受け止めています。さらに、エネルギーや食料など生活必需品の多くを輸入に頼る構造も、円安の影響を大きくしています。国内で生産・流通・消費が循環する仕組みを整えなければ、外的ショックのたびに生活が揺らぐことになります。言い換えれば、いま日本に欠けているのは「経済の循環力」そのものなのです。



“痛み”を希望に変えるために



この痛みを和らげるには、経済・心理・社会の三層を一体で変えていく必要があると思います。まず経済面では、賃金主導型のインフレへ転換しなければなりません。中小企業が適正な利益を得られるよう取引の公正化を進め、価格転嫁を当たり前にすることです。加えて、生産性を高めるデジタル投資や人材育成を支援し、企業が安心して賃上げできる環境を整えることが重要です。心理面では、インフレを単なる「値上がり」ではなく、「社会が動いているサイン」として受け止める発想転換が必要です。物価の上昇は経済の血流が回っている証拠であり、それを恐れるのではなく、どう循環させるかを考えるべき時期に来ています。社会面では、賃金と物価を連動させる制度設計が欠かせません。欧州型の最低賃金連動制などを参考にしながら、生活水準の安定を制度として支えることが求められます。さらに、エネルギーの自給率を高め、再生可能エネルギーの活用を進めることで、外貨に依存しない経済体質を築くことが、円安の副作用を抑える最も確実な道ではないかと思います。



循環を取り戻すために



私たちはいま、長く続いたデフレの時代を抜け出そうとしています。物価上昇は確かに痛みを伴いますが、その痛みを単なる苦しみとして終わらせるのではなく、未来の成長へと転化できるかどうかが問われています。日本経済が真に循環を取り戻すためには、これまでの延長線上にある「旧来型の成長戦略」から脱却しなければなりません。日本の社会には、長年のデフレが植え付けた心理的な「萎縮」と、経済的な「慎重さ」が深く染みついています。企業はリスクを取らず、家計は消費を控え、政府は財政規律を優先して成長投資を後回しにしてきました。

その結果、私たちは“悪いインフレ”──すなわち、コスト上昇だけが先行し、成長も賃金も伴わない停滞型のインフレ──にとどまっています。この状況を変えるためには、「経済の量的拡大」ではなく、「質的転換」による新しい成長モデルが必要です。それが、エコロジー・脱炭素・SDGsの理念に根ざしたサーキュラーエコノミーという新地平です。サーキュラーエコノミーとは、資源やエネルギーを「使い捨てる」のではなく「循環させる」経済構造を指します。しかし、その本質は単なるリサイクルや環境対策ではありません。人の働き方、企業の生産活動、社会の価値のあり方を“循環”という視点から再設計することにこそ意味があります。この道は、短期的にはコストがかかる道です。再生素材を使うには新しい技術が必要であり、脱炭素への投資には資金が要ります。しかし、そのコストを恐れていては、永久に旧来の構造から抜け出せません。むしろ、その一歩を踏み出すことによって、新たな需要が生まれ、雇用が創出され、企業と消費者の信頼の循環が形成されます。

つまり、環境への投資は「支出」ではなく「未来への資本形成」なのです。再生可能エネルギーの導入、地域循環型の生産と消費、廃棄物を原材料に変える技術革新。これらはすべて“循環する経済”の回転軸をつくり、やがて社会全体を支える持続的なインフラへと育っていきます。そこから生まれるのは、企業も国民も豊かさを実感できる“良きインフレ”──成長を伴う温かい物価上昇です。日本経済が求めているのは、単なる価格の安定ではなく、信頼できる循環構造の再生です。エネルギーが循環し、資源が循環し、人の知恵と労働が循環する社会においてこそ、物価上昇は成長の証となり、人々の希望へと変わります。いまこそ、「我慢の経済」から「共に回す経済」へ。デフレの心を脱ぎ捨て、循環の思想を経済の中心に据える時です。サーキュラーエコノミーの実現こそ、停滞から再生へ、日本が進むべき新しい経済の羅針盤なのだと思います。







執筆者


有村芳文

株式会社GREEN FLAG 代表取締役。




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