当社の考え
2025/09/03
建築と素材の“保守性”を超えて―新しい社会思考の土台としての素材選定を考える
建築業界で新しい素材を提案すると、しばしば返ってくるのが「不燃性がないと使えない」という言葉です。これは特に、施工現場を担う建設会社や設計事務所など、実務に関わる人々から発せられる言葉として頻出します。「建築基準法で認められていない」「木造建築の制約がある」「不燃材料でなければ審査が通らない」──確かに、これらはすべて法的に妥当な指摘です。日本の建築基準法は、火災リスクへの対応を重視しています。
都市化と建物の密集が進んだ日本では、一定規模以上の建築物や防火地域において、不燃・準不燃・難燃などの指定材料しか使えないと定められています。これは過去の大規模火災の教訓や、高密度都市における防災の必要性から導かれた当然の制度です。しかしながら、それが新素材への過度な警戒や硬直的な姿勢につながっているとすれば、話は別です。「不燃でないからダメだ」という一言で、ある素材が持つ可能性すべてを否定してしまうのは、非常にもったいないことだと感じます。
現代の素材に求められる多様な価値
現代の素材開発は、火災対策だけを目的にしていません。むしろ、社会的・環境的な課題解決を見据えた多機能性が求められる時代になっています。たとえば再生繊維フェルト、バイオマス系の自然由来素材、廃棄プラスチックのアップサイクル材などは、従来の石油由来建材に比べ、製造時のCO₂排出量が少なく、廃棄時にも土壌や大気への負荷が低いという特性を持っています。断熱性、吸音性、軽量性などでも非常に優れた機能を発揮し、室内の快適性やエネルギー効率向上にも寄与します。にもかかわらず、「燃えにくくないから」という理由で素材の選定段階にすら乗せない現状は、評価基準があまりに単一であることを物語っています。
素材とは本来、その機能・環境負荷・再資源化の可能性・コスト・意匠性など、多面的な価値軸によって総合的に評価されるべきものです。それを“燃えるか否か”という一軸で排除してしまうのは、社会課題の解決を目指す建築の進化を自ら止めてしまう行為だとも言えるのではないでしょうか。
建築とは「社会をかたちづくる器」である
で私たちは、建築物を単なる構造物ではなく、「人々の暮らしを支える社会的器」として捉えるべきだと思います。その建築を構成する素材は、単に空間を構成する要素ではなく、社会の価値観や思想を反映する鏡でもあります。火災リスクへの備えはもちろん重要です。しかし、今の社会が直面しているのは、それだけではありません。気候変動、マイクロプラスチックによる海洋汚染、森林資源の枯渇、土壌・水質汚染、生物多様性の崩壊など、より深く、より広範囲にわたる環境課題に、建築もまた応えていく必要があるのです。その時に問われるのは、「この素材は燃えにくいか」ではなく、「この素材は地球の循環にどう寄与するか」「人間の暮らしにどのような新しい価値を提供できるか」といった視点です。
素材選定は、環境・経済・文化のすべてに直結する重要な選択であり、それを通じて私たちは未来の社会をどのように描くのかを問われているのです。
「社会課題に資する素材評価」という新しい尺度
では、私たちは従来の「不燃・強度・価格」という三大軸を超えて、どのような評価軸を導入すべきでしょうか? まず重要なのは、素材の環境調和性です。原材料の採取・製造・施工・使用・廃棄に至るまでのライフサイクル全体での環境負荷を評価する視点です。特に再資源化のしやすさや、地産地消による輸送負荷の低減は今後ますます注目されます。次に、地域社会との親和性も見逃せません。ある素材がその地域の伝統とどのように関係しているのか、地域経済をどう活性化しうるのかといった視点です。
これはサステナブルだけでなく、文化の継承という観点からも重要です。そして、素材が生み出す空間の質。吸音性や断熱性だけでなく、触感、光の拡散、音の反響、湿度の調整など、「人間の五感」にどう働きかけるかという観点も欠かせません。制度や規格はもちろん必要です。しかし、それだけでは社会を変える力は持てません。制度に先行して社会の空気が変わるとき、制度もまた動くのです。
素材選定は社会的意思表明である
すでにいくつかの例外的な動きが始まっています。たとえば、木質材料であるCLT(Cross Laminated Timber)が準不燃材料として認められ、鉄骨構造とのハイブリッド化が進んでいます。ZEB(ゼロ・エネルギー・ビル)への制度的対応を視野に入れた設計も増え、建材の断熱性や空調負荷の削減が、評価対象になってきたのです。こうした「空気の変化」は、素材開発者だけで起こせるものではありません。設計者、施工者、施主、行政、生活者──すべての関係者が、「この素材は社会をどう変えるか」を問うことによって、変化の連鎖は生まれます。不燃性という安全性を追求するだけでは、未来の建築を築くことはできません。環境破壊や資源浪費といった「構造的災害」にどう向き合うかこそ、建築の根本的使命の一つになりつつあるのです。
「燃えにくい素材を探す」のではなく、「燃やさなくて済む社会」をつくるために、どの素材を選ぶべきか。そうした問いこそが、これからの建築と素材の関係性を刷新する鍵になるはずです。
素材の可能性を“社会の基準”で拓く
素材は単なる建築資材ではありません。それは、私たちがどのような社会を目指すかを象徴する社会的メッセージそのものです。「建築基準に合うかどうか」ではなく、「この素材が社会に何をもたらすか」。その視点で素材を評価し、議論し、育てていくことが、持続可能な未来への第一歩になるのです。いま、私たちは「保守性」の向こう側にある世界に、手を伸ばすときに来ています。その先には、従来にはなかった可能性が広がっています。新しい素材、新しい空間、新しい暮らし、そして新しい社会。
素材の選定とは、社会への意思表明です。ならば、私たちが次に選ぶ素材は、「誰のために」「何のために」存在すべきなのかを、もう一度問い直すべき時なのです。